1. ホーム
  2. リストから探す
  3. 湯浅倉平君生誕の地

激動の昭和初期にその名を遺す宇賀の偉人。

宇賀・小串エリア

湯浅倉平君生誕の地

豊浦郡宇賀村(現在の下関市豊浦町宇賀)の出身で、大正から昭和にかけて警視総監、宮内大臣等を歴任した湯浅倉平。
その生誕の地に、石碑が建てられています。

1923年(大正12年)、関東大震災発生の直後に警視総監に任命された湯浅倉平は、混乱の中で被災者の救護と治安の確保に奔走。
その後、会計検査院長、宮内大臣を歴任し、1936年(昭和11年)の二・二六事件では、反乱将校らの掲げる「昭和維新」に反対する立場の内大臣として昭和天皇を補佐し、その重責を全うしました。

また、内大臣時代には、高齢の元老西園寺公望を助け、宮中良識派の一員として陸軍の専横に対抗する立場を貫いたため、「生きた英雄」と称える声もあったといいます。

今も、郷土の誇りとして慕われる湯浅倉平。
その実直で果敢な人柄と功績を称える石碑が、宇賀のまちと響灘を見守っています。

お問合せは、豊浦町観光協会(083-774-1211)まで。

故郷のこどもたちへ~湯浅倉平からお礼のお手紙~

「(略)… どうぞ勉強して偉い人に為って下さい。偉い人と云っても役人ばかりが偉いという訳では決してありません。宗教家でも書家でも大工でも左官でも正しい職業であれば何でもよいのです。篤農家と為って地方の農家を改良して穀物や野菜を沢山とる様にする人も偉い人です。網を改良して魚を沢山とる様にする人も偉い人です。御国の為になる人、世の為になる人は皆偉い人です。男子で無くても女子でも偉い人になれるのです。…(略)」 激動の昭和初期に、湯浅倉平の優しく実直で果敢な人柄がしのばれる文章。 この手紙を読んだ宇賀小学校の子どもたちは、きっと心から励まされたに違いありません。

インフォメーション

湯浅倉平君生誕の地

下関市豊浦町大字宇賀8081
-
-
Google Mapで開く

ページの先頭へ