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藤井 優子(ふじい ゆうこ)さん

「玉椿旅館」女将  

川棚温泉屈指の老舗「玉椿旅館」。
生まれ育った「玉椿旅館」の伝統を守りつつ、シェアするお店「トマリギ」の運営など川棚温泉に新たな出会いと個性を創造する藤井優子さんの凛々しい姿をご紹介します。

取材前に何度かお会いした時は、洋装でいらした藤井さん。
今回は、“老舗旅館の女将として”ということで、凛とした和装で取材を受けてくれました。

そんな藤井さん、前職はライターでした。
子どものころから本が好きで、お父様から買ってもらった本もすぐに読み終えてしまい、「買ってあげる甲斐がない」と言われてしまうほど。
動物も好きで、読む本も、畑正憲(むつごろうさん)、シートン、椎名誠のエッセイなどが多かったそうです。
作文も得意で、小学校2年生で書いた作文のタイトルは、「川が泣いている」。
「自然の川が河床整備された様子を見て書いた」とのことでした。
恐るべし小2、もちろん入賞したそうです。

高校まで川棚で過ごし、大学進学とともに福岡へ。
英語学科で学び、タウン誌の出版社に就職しました。
文章を書くことを生業として選ぶのは、必然だったのでしょう。

その後、東京の出版社への転職が確定していたころの2011年3月、あの東日本大震災が発生。
東京行きはなくなり、福岡を中心に活動するフリーライターに転身しました。
様々な人たちと出会い、インタビューするうち、「自分は、自分以外の人のために、何ができるだだろう」と考え始めたのだそうです。

そんな思いを抱きながらライターを続けていた2013年、実家の「玉椿旅館」が国の有形文化財に登録されます。
そのお祝いに訪れた方々が、「玉椿旅館」にまつわる色々な思い出話を語ってくれました。
藤井さんは、「自分は離れた場所にいるけれど、地元の人、お客様、いろんな方々の心の中に『玉椿旅館』が生きている」ということに深く感動。
「この旅館を続けることが、自分以外の人のためにできることの一つ」という思いに至り、旅館を継ぐきっかけになったと言います。

事実、「父と母の思い出の場所なんです」というお客様がお見えになることもあるのだそう。
「移り変わりの激しい世の中で、時を重ねてもそこに存在し続ける空間は貴重。その空間の中に人々の思いは残る。ふるさとがなくなってしまう人々が増えているけれど、そんな人々が帰ってこられる場所。自分にしかできないことがあるとしたら、そんな場所としてこの旅館を存在させ続けることです」
そう語ってくれました。

「大切なものがたくさん詰まっている。だから捨てることはできません」
藤井さんにとって「玉椿旅館」は、“宝箱”なのだそう。
ライター時代に、移住者、シェアハウス、新しいライフスタイルや働き方に触れて刺激を受けたことも、「トマリギ」の設立と運営に繋がっています。

川棚温泉で暮らす藤井さんの“豊浦の好きなところ”は、「海が綺麗でリフレッシュできるところ」、「穏やかで懐が深いところ」、「日常の延長線上にある等身大の魅力があるところ」なのだそう。
今回の取材で足しげく豊浦に通った筆者も、心から共感できました。

- 小さな温泉街、川棚。-
- コンパクトなまち歩きが似合う川棚。-
- 色々な個性が集まって、小さいけれど、美しくて強い川棚。-
そんな理想を実現するために奮闘する若き女将の姿は、優しくて力強い輝きを放っています。

インフォメーション

玉椿旅館

下関市豊浦町大字川棚5132
チェックイン 15:00~ / チェックアウト ~10:00
火・水曜日定休
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